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令和3年度 感謝報告会 その1



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佐藤花子(仮名50代)です。夫と大学生の長男、高校生の長女の4人家族です。今回、夫の両親との関わりの中で人としての大切なことを学ばせていただいた事を報告します。

3年前敬老の日が近づいて来たので久しぶりに福島の夫の実家に電話をしました。実家は、夫の両親と妹の3人暮らしです。電話に出るのは、いつもお父さん。しかしこの日は少し疲れているようで元気がない声です。
「お母さんは元気ですか」の問いにもはっきり答えず「出来れば時間を作って来て欲しい」と言われたのです。
あのお父さんが、そんなことを言うなんて…。これは何か変だな!?と思い、夜仕事から帰って来た夫に話しました。
しかし夫の反応は薄く自分から電話をかけることもしません。とりあえず週末に私一人で福島へ帰ることにしました。

母は物忘れが多く認知症ぎみと聞いているだけで、ここ数年会っていません。久しぶりに夫の実家に行ってみると私はあ然としました。
庭は草がボーボー、玄関に入った途端鼻につく悪臭。母が小さな簡易ベッドに、全身ほぼ裸の状態で、バスタオル1枚だけかけて縮こまって横になっており、意味の分からない事をぶつぶつと呟いていました。
私はびっくりして母に声をかけましたが「あんた誰?」と言うだけで私の事を覚えていません。
髪は伸びてボサボサ、足もガサガサ、手は汚れた爪が伸びていました。いつもショートカットで小ぎれいにし、しゃべりもハキハキしている母は、どこにもいませんでした。父はため息ばかりついてとても疲れた様子です。
家の中は所々蜘蛛の巣が張り、廊下は埃だらけ。部屋は日中でもカーテンを閉めており外の光が入って来ません。荒れ果てた家でした。

妹は全く母の介護にタッチしておらず、母の世話をしているのは父だけ。妹との関係も上手くいっていないようでした。
母の食事は、菓子パン1つを与えるだけ、オムツ交換も体力が無く上手く出来ない事など少しずつ話をしてくれました。
私は父とたくさん話し、トイレや玄関、廊下の掃除、玄関周りの草むしりをして東京へ帰りました。

この福島の実家の様子を夫に話すと、険しい顔つきで聞いているだけでした。私はだんだん腹が立ち「どうして私だけが動いているのよ!自分の親の事をもっと気にして、心配してよ!」と強い口調で言ってしまい、苛立ちが止められなくなってしまいました。

翌日私は生活倫理相談士に夫が全く動いてくれない事など強く主張し相談しました。
すると私の話をすべて聞いてからこう言われました。
まず夫の代わりに実家の家族の為に動くこと。
次に夫に何でも話し、こちらからは強く「○○して!」など要求しないこと。
そして実家に行った時は、明るく笑顔で接し、佐藤家の天使になること。と言われました。
天使!?想像できません。
しかしあの荒れ果てた家を、家族をどうにかしたいと強く思いやってみようと思いました。

まず夫の代わりに父と電話のやり取りを毎日しました。
また、時間をみつけて福島へ足を運び、家の掃除、片付け、ゴミ出し、草むしりをし、母の手や足を洗いながらそばで見ている父とたくさんしゃべりました。そのうちに妹も話に交ざるようになり少しずつ母に目を向けるようになったのです。

次に夫に何でも相談し、夫に強く要求しない実践は初め(あなたも福島へ一緒に行ってよ!)と強く思っていましたが、そこをぐっと堪え、福島での様子をくどくど話さず、サラッと、でも大事なところは詳しく話し、困った事や心配な事は、小さな事でも相談しました。

そうしたら、ある日、いつもの様に福島へ行こうと玄関で用意している私に「ありがとう」と夫が言ったのです。私はびっくりしましたが「行ってきます」の握手をして福島へ行きました。
すると今度は主治医から直々にこれから母の介護や治療の事など長男の方と話し合いたいので福島へ来て欲しいと連絡が入ったのです。
夫は困った表情でしたが私と一緒に福島へ行くことになりました。その話し合いの結果ヘルパーさんや訪問看護師さんの協力を得ることになり、主治医の往診が開始されるようになりました。

次に、実家に帰った時は明るく笑顔で接し天使になる、の実践では天使は無理と思いながらも父や妹と話す時は明るく接し、母に話しかけながら父も一緒に話に交ざってもらったりし、出来るだけ笑顔を意識しました。
そのうちにいつの間にか妹も話に交ざり一緒に着替えや、オムツ交換をしたり、今までの気持ちを打ち明けて来たりと、変化がみられました。
その後、父と妹は母の介護をヘルパーさんに助けてもらい訪問看護や、主治医の往診に支えられながら自宅で介護を熱心にするようになりました。


私が時々実家へ帰るたびに、家の中は見違えるほど明るくきれいになり父と妹の仲も良くなっていき、母の髪を短くカットされ全身ピカピカ、お肌ツルツルのきれいな母になっていきました。

あれから3年。秋も深まる昨年11月、1本の電話が来ました。母が亡くなったという知らせでした。
母は3年間、父と妹の介護を受け最後も2人に看取られながら静かに亡くなりました。83歳でした。

私達家族4人、母の葬儀の時お父さんに寄り添って泣いている妹を見て今まで母の介護を一生懸命にしてくれた2人に(本当にありがとうございました)と感謝の気持ちで一杯になりました。
夫は、父が脳梗塞で言葉がはっきりと話せない父の代わりに、喪主挨拶を立派に果たしていました。

子ども達は、何もかも初めての事でびっくりしていましたが、「人って死ぬとこんなに冷たくなるんだねぇ」と言い、納骨する前に長男が骨つぼを持ち、胸に抱えさせてもらった時に「人って最後はこんなにあたたかいんだねぇ」と小さな声で言いました。
子ども達に人は亡くなるとこうなるのよと自らの体で教えてくれた母、私達家族にたくさんの愛情を与えてくれた母に心から感謝致します。

私は、この経験を通して明るく笑顔で接すると相手は心を開き、家の中が明るくなることを知りました。
そして道が開けるということも。

これからも、何があってもあきらめず、明るく前向きに笑顔で過ごしていけるように努めて参ります。

ありがとうございました。


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この体験は「万人幸福の栞」の中では特に第3条「運命は自ら招き境遇は自ら造る」に当たるでしょう。

佐藤さんのたった一人の行動と真心の実践が、ご主人のお父様と妹さんの心と行動に変化をもたらしそれによりお母様の環境もみるみる良い方向へ変わっていきました。
そして、ご主人との関係も良くなり、お子様たちへの真の教育にもつながっていき、まさに、自分が変われば周りが変わり、それだけでなく、その周りの人たちの境遇までが変わるという「運命自招」をはっきりと教えてくれています。

その結果、ご葬儀では妹さんはお父様に寄り添いながら涙を流し、また、はじめは行くことさえ渋っていたご主人が喪主であるお父様の代わりに見事に立派な挨拶をし、家族皆で温かく見送ることが出来、お母様はどれ程嬉しく安心して天国へ行かれたことでしょう。
もし佐藤さんがこれらの困難をただ否定的に捉えてこのように前向きに進んでいなかったら、お母様も全く違った最後を迎えることになったでしょう。
そして何よりも佐藤さん自身が心の奥底から溢れてくる感謝の気持ちを味わうこともなかったことでしょう。

さてここでどのような実践をしていったかを振り返ってみましょう。
佐藤さんは久しぶりに行った福島で、あまりに変わり果てていたお母様のお姿と、ゴミ屋敷のようになっていた実家を見て唖然とし、大きなショックを受けました。
東京に帰り、ご主人にその様子を話しましたが、険しい顔つきで聞いているだけで親身になってもらえず、だんだん腹が立ちイライラを止められなくなっていました。

そこで、生活倫理相談を受け、次の3つのことをアドバイスされました。
? まず、夫の代わりに実家の家族の為に動くこと
? 夫に何でも話し、こちらからは強く「○○して」など要求しないこと
? 実家に行った時は明るく笑顔で接し、佐藤家の天使になること

「え?!」という思いがけないこともありましたが、ただ、あの荒れ果てた家を何とかしたいという一心でそのまま必至に実践を始めました。
すると自分で力んで何とかしようとしなくても自然に助けてくれる人が現れ、お母様に関わる周りの環境がどんどん変わっていきました。
そして仲の悪かったお父様と妹さんも自然に歩み寄り、二人で介護を始めるようになったのです。
また、ご主人が一人で福島へ向かう佐藤さんに「ありがとう」と言ってくれるなど、夫婦の関係も変わっていきました。
きっと奥底に苦しい思いを抱えていたご主人の心をも開いていったのでしょう。

もうひとつ見逃せないのが清掃の実践です。
初めて一人で福島へ行った時、あまりの汚さに衝撃を受けた佐藤さんは、思わず玄関、トイレ、草むしり…と黙々とやって帰りました。それからも続けていったのですが、すると不思議なことに自分がやらなくても、行く度に家は見違えるほど明るくきれいになっていき、それと平行して、お母様のお姿もピカピカにきれいになっていきました。
このことからも、家の状態と、その家に住む人の心や幸、不幸の関係が密接につながっていることが分かります。

佐藤さんは、倫理で清掃の大切さを学んでいきましたので無意識のうちに思わず体が動いたのだと思います。

このように、一人の明るく前向きな心は行動となって現れその行動を続けることによりそれが習慣となり、人格が変わり、その結果、運命さえも変わっていく。
これが「運命自招の図式」です。

これに関しましては先日の“ラインおはよう倫理塾”の「運命自招」の解説に記しましたので佐藤さんの体験に合わせて読み返していただければと思います。

「運命を切り開くは己である。境遇をつくるのも亦自分である。己が一切である。努力がすべてである。やれば出来る。」(「万人幸福の栞」P37)

以上



令和3年度 感謝報告会 その2




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こんにちは
下北沢支部 田中倫子です。
家族は主人と高校一年生の息子、中学一年生、小学三年生の娘の5人家族です。
ちょうど一年前の12月、私は脳動脈瘤のクリッピング手術をいたしました。本日は自分の手術を通して、私や家族が少しばかり成長出来た体験をご報告したいと思います。

脳動脈瘤と分かりましたのは、2018年の7月、今から2年半前のことでした。
当時、主人の海外赴任のため、家族揃ってアメリカで生活をしていました。急に左側の頭痛や耳の痛み、そして左側の足が痺れるなど、左側ばかりの症状が現れました。
早速現地の病院を訪れましたが、言われたのは「急を要するものでは無さそうですが、専門医へ行って下さい」でした。
アメリカでは初診はなかなか予約が取れず待たされることが多いのですが、案の定1ヶ月以上先まで予約が取れませんでした。
こんなに不安で辛いのに1ヶ月も待たなければならないなんて…急に体調が悪くなったら、どこへ駆け込んだら良いのだろうと異国の地で不安でたまらない毎日を過ごしました。
最終的に日本に一時帰国し、ようやく診察を受けられました。
先生からは、 「その症状を引き起こす原因になりそうなものはありません。」と言われ、ホッとしたのも束の間、「でもね、小さな脳動脈瘤がありますよ。」でした。
その後様子を見ながら定期的に検査を続けました。一年後の2019年7月、動脈瘤が大きくなったことが判明し、早い処置を勧められ、開頭手術に臨むこととなりました。

脳動脈瘤の診断を受けてから手術まで、何度か生活倫理相談を受ける機会に恵まれました。
何事にも「ありがとう」という気持ちを持てているか、主人に対して「はい」と言えているか、そして主人の父や母に心を寄せているかなどのアドバイスを頂き、正直耳の痛い思いがしました。
中でも強く心に響いたものが、命の元である主人の祖先を大事にしているかというものでした。

動脈瘤は血管の壁の脆いところが膨れてしまうもの、例えていうならば、親祖先の思いと私の思いをつなぐ一本のパイプが血管だとすると、私が親祖先の思いを受け止めきれず、溢れんばかりの祖先の思い、その部分がぷくっと膨れてしまったのではないですか…というのです。
太いパイプを作って私が親祖先の思いをしっかり受けとめることも大事です。と言われました。
お墓参りは年に数回しているけれど、それだけでは足りないのか、心の中で想うことが大事なのかなと思いました。
そこで実践したことは、毎日先祖に手を合わせお参りし、挨拶と感謝の気持ちを述べること。また先祖代々の命日を気にかけてみることでした。

幸い、田中家の墓には墓誌があり、古いものでは天明8年、なんと230年前まで、先祖の名前と命日を振り返ることができました。
毎日のお参りに加えて、命日にはその先祖に気持ちを向け、少しのお菓子をお供えする。
それを繰り返したある日です。その日もある先祖の命日でした。しかも同じ年同じ日にお二人。ラジオから今日は東京大空襲の日という声が聞こえ、よく見てみるとお二人の命日は昭和20年3月20日。
ひょっとしたら自分の先祖が東京大空襲で2人も命を落としていたのかも…と推測ではありますが、今まで遠い存在だった先祖が急に現実味を帯びて、近くに感じるようになりました。

「いつも見守って下さりありがとうございます。」という思いを持ち続けていくうちに、何があっても自分は守られているどこかで助けてもらっているのだという自信が強くなった様に感じました。
この祖先に繋がりたいという実践は、常に感じていた手術への恐怖、子供のダブル受験の重圧にも耐えうる心の強さを作ってくれたように感じてなりません。
純粋倫理の教えに触れることができ、本当に良かったと実感いたしました。

自分にとって激動の一年を心穏やかに過ごすことができたのは、毎朝のおはよう倫理塾の存在も大きいものでした。

次女と2人で満天の星の下、漕ぐ自転車、着いた会場で宿題をしたり、私の膝で二度寝をする娘を可愛がって下さる支部の大先輩の皆様、そしてオレンジ色の美しい朝焼け…心穏やかに、今日も頑張るぞという前向きな思いにリセットしてくれるお気に入りの時間となりました。

朝の会場で心が満たされたおかげでしょうか、感謝の気持ちも溢れるように湧き出てきました。

まずは自分の体に感謝。大きな破裂を起こす前に動脈瘤が見つかってよかった、教えてくれてありがとう。

二つ目に主人に感謝。
一つの病院ではなく、色々な可能性を求め、一緒に診断を聞き、この先生にしよう、早めのこの日に手術しようとビシッと決断してくれました。クリッピング手術のギネス記録をお持ちの名医と出会い、後遺症もなく無事に手術を終えられたのは、主人の粘り強さと決断力によるものが大きかったと今そう思います。

最後に父母に感謝
アメリカでの生活中、心細い時、辛い時、心の支えになったのは母との電話や手紙でした。また、幼い頃から母の影響で純粋倫理が身近にあり、何か困ったらその時には「おはよう倫理塾」に行けばなんとかなるという心のお守りがありました。倫理と繋げてくれた母、そして、余計な口出しはしないけれど、黙って後ろから温かく見守り応援してくれていた父の愛情に感謝しています。

おかげさまで、手術も子供達の受験も終わり、単身赴任の主人も本帰国し家族が揃いました。
最近は以前から興味のあった介護のお仕事を始めました。今後は人を支え、お役に立てる様お返ししていきたいと考えています。そして感謝の気持ちで心が満たされるよう心も体も健康でいたいなと思います。
苦難福門、今ここでこうして前と変わらぬ姿で感謝のご報告が出来たことを心から嬉しく思います。

本日はどうもありがとうございました。


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この体験は、全一統体(すべては見えないところでひとつに繋がっている)という大自然の原理に基づいています。
その中でも特に田中さんと田中家の祖先の繋がりが苦難を乗り越えていく上で大きな力となっていきました。

脳動脈瘤の開頭手術を受けることになった田中さんはどれほど不安だったことでしょう。
しかし、奇跡的な名医との出会いがあり、後遺症もなく無事手術を終えることができました。
そこには全力で支えてくれたご主人の大きな力があったのです。また、その奥には目に見えない祖先の力も働いたと考えられます。

田中さんは手術までの間に何度か生活倫理相談を受け、いくつかのアドヴァイスをいただきました。その中でも強く心に響いたのが、ご主人の親祖先を大事にしているかというものでした。溢れんばかりの祖先の思いをしっかりと受け止めることが大事だと言われたのです。

そこで田中さんは
(1)・毎日祖先に手を合わせお参りし、挨拶と感謝の気持ちを述べること。
・先祖代々の命日を気に掛けること
の実践を始めます。

すると、田中家のお墓には墓誌があり、なんと230年前までのご先祖の名前と命日を振り返ることが出来ました。
「溢れんばかりの祖先の思い…」とはどういうことかこの時深く理解できたのではないでしょうか。

そしてお一人お一人のご先祖の命日にはお菓子を供え、気持ちを向けるという実践を続けました。
その結果、色々な気づきを得て今まで遠い存在だった祖先を近くに感じられるようになったのです。
このように毎日手を合わせ「いつも見守って下さりありがとうございます。」という感謝の思いを持ち続けていくうちに「何があっても自分は守られて助けられている」という強い信念を持てるようになりました。
自分と目に見えない祖先との繋がりを理屈ではなく心で感じ確信できたこと…ここが今回の田中さんの体験の中で最も大きな力になったところでしょう。
そしてその信念は、手術への恐怖や子供のダブル受験の重圧にも耐えうる心の強さに繋がっていきます。

純粋倫理は宗教ではありませんが、目に見えない大いなるものとの繋がりを信じる信仰心を大切にします。
(1)の実践はこの信仰心を深めるものです。
もうひとつ田中さんの実践の中で大きな力となったのは
(2)“おはよう倫理塾”の存在です。
毎日早朝の同じ時間に同じ場所に通うことにより大自然の壮大な美しさや営みを感じ、また温かく受け入れ見守って下さった先輩方に癒され穏やかに「今日もがんばるぞ」という前向きな気持ちになれました。

(2)は日々の生活の中でできる具体的な実践です。
 (1)の心の実践と?の行動の実践により田中さんは心と体に大きなエネルギーをもらい苦難を乗り越えていく上で大きな力となりました。
そしてこれらの実践を通して湧き出てきた溢れんばかりの感謝の思い…
それは自分自身の体へご主人へご両親へも向いていきます。

自分も周りも明るく幸福になっていく上で最も大切な心…それが感謝です。

大きな苦難を乗り越えることより、感謝の心で満たされる喜びと大切さを実感し学んだ田中さんはこれから益々豊かで充実した人生を歩まれていくことでしょう。

「にっこり笑って、エイと一声一かけ声勇ましく、かたい扉をおし開こう。その奥には光明、歓喜の世界がまっている。苦難は幸福に入る狭き門である。」
(「万人幸福の栞」P31)
以上